2024年3月28日
前回の千頭峯城に続き本城である三岳城へツーリングに行きました。
前回は私がこけて腕をけがしたのですが今回は駐車場で立ちごけしてバイクを傷つけてしましました。でもオフ車の傷は勲章だと聞きますしいいとしましょう。
本曲輪は広くはなく東の曲輪とは標高差が20mあり周囲に帯曲輪がある山城でした。
本曲輪の西側には等高線に沿って2重の堀をめぐらす形状であった。
土塁もあるらしいのだがどうも自分にはよくわからなかったです。
2024年3月9日
千頭峯城へツーリング行きました。
奥浜名湖のオレンジロード沿いにありよくバイクで通ってましたが今までは城跡に興味がなかったため気が付いていませんでした。
私はこの城跡でこけてけがをしたためワークマンでハイキングシューズとグローブを購入しました。
千頭峯城は南北朝時代のお城で南朝側の井伊家の重臣の奥山朝藤が城主でした。
この奥山氏は徳川家康の家臣の四天王となった井伊直政の実母を出した氏だそうです。
宇城山にある三岳城の支城でしたが本城とともに北朝に滅ぼされました。その後戦国時代に今川徳川武田が入り乱れて争った重要な拠点山城となったそうです。
鑑賞ポイントとしては二の曲輪と西曲輪間の堀切や竪堀と最高所から階段状に配置された曲輪ですがうまく写真に収めていません。
東曲輪にある堀切
2024年3月2日
鳥羽山城の次にいきました。
二俣城や鳥羽山城はあるていど町に近い場所にありましたがこちらはほんとに山城って感じで初心者には山道が怖かったです。またどこに土塁があるのかとか曲輪があるのかとか初心者の自分にはわからなかったです。ほんとにただハイキングに来た感じでした。またリベンジします。
ポイントとしては巧みに配置された横堀で守られてる曲輪だそうです。
気田川流域と秋葉街道を抑える交通の要衝であったようだ。
もともと今川氏の傘下であったが桶狭間の戦いで今川の影響力が落ちると武田からの圧力で武田に従属。徳川家康は北遠の奪還を目指し犬居城攻め攻めを行うが急峻な地形に苦戦した。
そこで家康は堀之内の城山など陣城を築き犬居城を攻略した。
2024年3月2日
二俣城の後、徒歩できました。バイクにおける冬装備できたので暑くて大変でした。
二俣川をはさんで二俣城の南に位置し、両城で一つの機能を持つ一城別郭である。
二俣城を奪取した武田軍は二俣城を修復利用したが鳥羽山城は廃城としたようだ。しかし再び徳川が再奪取すると整備され堀尾時代も使用したようだ。
みどころは8mの県内最大規模の大手道にある。