大平城へツーリング

2024年3月28日

変化にとんだ地形を利用し浜名湖北道を監視した山城である大平城にいってまいりました。

いったもののかなり自然に戻りつつある状態で独りでは怖いと判断。探索せず帰りました。

 

歴史としては三岳城の支城のひとつとして築かれた城。井伊氏は本状を三嶽城とし、南を浜松市の鴨江城、西を先日訪問した千頭峯城、東を大平城を支城とした。井伊氏は南朝後醍醐天皇の皇子の宗良親王を迎え、遠江南朝勢力の中心となった。大平城の南朝軍と、足利尊氏の命を受けた高帥泰率いる北朝軍の攻防戦は暦応2年(延元4年・1339年)から翌3年(興国元年・1340年)にかけて繰り広げられ、大平城は落城した。

駐車場から階段を上がると案内板がある出曲輪?があります。

本当はまだまだ城の痕跡はあるようですが草がボーボーで進めませんでした。